※フレームを付けます。メニューがない時はクリックしてください。
御代の番号を押してください。
 左欄がの様な色、赤文字は女帝です。
■天神  1 2 3 4 5 6 7前 7後
■上古  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25

■鵜葺草葺不合朝(うがやふきあえずちょう)    21代  22代   31代 

■神倭朝(現在)
1. 2. 3. 4. 5 6. 7. 8. 9. 10 11.12.13.14.15 16.17.18.19.20 21.22.23.24.25
26.27.28.29.30 31.32.33.34.35 36.37.38.39.40 41.42.43.44.45 46.47.48.49.50
51.52.53.54.55 56.57.58.59.60 61.62.63.64.65 66.67.68.69.70 71.72.73.74.75
76.77.78.79.80 81.82.83.84.85 86.87.88.89.90 91.92.93.94.95 96.97.98.99.100

101.102.103.104.105 106.107.108.109.110
111.112.113.114.115 116.117.118.119.120
121.122.123.124.125
....
北01.北02.北03.北04.北05 ....
・・元はこちらが正当な天皇家だったようです






不明〜紀元前660年


紀元前660年〜507年
507年〜806年
806年〜1141年
1141年〜1412年

1412年〜1643年
1643年〜1846年
1846年〜2006年

1331年〜1371年
    
1. 代:  在位 〜  2.  伝承   3.御名・異称 4.略年譜 5.配偶者 6.御 父 7.御 母 8.皇子女 9.皇 居 10.陵 墓
天神(てんじん)初代〜七代 宇宙から地球降臨まで 
地球に来る前の事が書いてあるようである。
               
天神(てんじん)初代 TOP

元無極躰主王大御神(ムトフミクラエシノシノオホミカミ)
 この方は宇宙の中心に居られ地球には来た事が無いそうである。                
天神(てんじん)二代 TOP

中未分主大神尊(ナカナシワカレノシノオホミカミ)
 この方は上古朝を開かれる時に地球に来たそうである。
 2代様から7代様までが地球に来られた事があると言う。以前は8千年ほど前だという。
 上古朝はその頃開かれたようである。天神朝の皆様は、今はこの銀河系にも来られないのだそうである。
 まことに人の世が退廃してしまったからである。今の地球の人類が滅びても、それは全て、今の人類の責任なので、一人でも多くの人にこの事実を認識していただきたいとの事である。

 以下、天神の皆様は同じ思いだそうです。私も同じです。地球環境の事より、金儲けが大事だと言っている中国やアメリカは地球の恥です。
 このような国は滅びても当然です。そう成ると思います。天神の皆様は20以上の国が駄目だと言っています。
 当然過ぎるお答えです。  
               
天神(てんじん)三代 TOP

天地分主大神(アメツチワカレノシノオホカミ)
 この方は上古朝を開かれる時に地球に来たそうである。
 2代様から7代様までが地球に来られた事があると言う。以前は8千年ほど前だという。
 上古朝はその頃開かれたようである。天神朝の皆様は、今はこの銀河系にも来られないのだそうである。
 まことに人の世が退廃してしまったからである。今の地球の人類が滅びても、それは全て、今の人類の責任なので、一人でも多くの人にこの事実を認識していただきたいとの事である。
               
天神(てんじん)四代 TOP

天地分大底女大神二神(アメツチワカレオホソコミドノオホカミフタカミ)
 この方は上古朝を開かれる時に地球に来たそうである。
 2代様から7代様までが地球に来られた事があると言う。以前は8千年ほど前だという。
 上古朝はその頃開かれたようである。天神朝の皆様は、今はこの銀河系にも来られないのだそうである。
 まことに人の世が退廃してしまったからである。今の地球の人類が滅びても、それは全て、今の人類の責任なので、一人でも多くの人にこの事実を認識していただきたいとの事である。
               
天神(てんじん)五代 TOP

天一天柱主大神躰光神天皇(アメハジメアメハシラノシオホカミミヒカリノカミスミラミコト)
 この方は上古朝を開かれる時に地球に来たそうである。
 2代様から7代様までが地球に来られた事があると言う。以前は8千年ほど前だという。
 上古朝はその頃開かれたようである。天神朝の皆様は、今はこの銀河系にも来られないのだそうである。
 まことに人の世が退廃してしまったからである。今の地球の人類が滅びても、それは全て、今の人類の責任なので、一人でも多くの人にこの事実を認識していただきたいとの事である。
               
天神(てんじん)六代 TOP

国万造主大神身光天皇(クニヨロズツクリノシオホカミミヒカリノスミラミコト)
 この方は上古朝を開かれる時に地球に来たそうである。
 2代様から7代様までが地球に来られた事があると言う。以前は8千年ほど前だという。
 上古朝はその頃開かれたようである。天神朝の皆様は、今はこの銀河系にも来られないのだそうである。
 まことに人の世が退廃してしまったからである。今の地球の人類が滅びても、それは全て、今の人類の責任なので、一人でも多くの人にこの事実を認識していただきたいとの事である。
               
天神(てんじん)七代 TOP

天御光太陽貴王日大御神大光日天神(アメノミヒカリオホヒナカキオヒオホミカミオホヒカリヒアマツカミ)
 この方は上古朝を開かれる時に地球に来たそうである。
 2代様から7代様までが地球に来られた事があると言う。以前は8千年ほど前だという。
 上古朝はその頃開かれたようである。天神朝の皆様は、今はこの銀河系にも来られないのだそうである。
 まことに人の世が退廃してしまったからである。今の地球の人類が滅びても、それは全て、今の人類の責任なので、一人でも多くの人にこの事実を認識していただきたいとの事である。
 
               
天神(てんじん)七代後半  TOP

天御光太陰貴王女大神(アメノミヒカリオホインナカキオメオホカミ)
・地球人類を騙し、この世に暗黒をもたらした蛇をそっとご紹介する。
 これは悪い蛇の中の一匹で、はるかに巨大なドラム缶の様な太さの蛇も沢山いる。
・見るべき方は心の準備をしてからクリックしてください。
・見たあとは上古4代様のページを開きお祈りしてください。
・祓い給え、清め給え、護り給え、幸い給え
 2006年5月23日午後4時頃、巨大な光と共に、こちらの方が私のところに参られた。
天神朝の皆様は宇宙の中心から、この銀河系にやってきたそうである。そして、この太陽系に参られたそうである。
 最初に、この太陽系のタイタンからご降臨されたそうである。
そして、土星や太陽を調べ地球に来たそうである。天神の皆様は、当初は地球人は上手く発達すると思っていたそうである。
 それを邪魔したのが蛇である。聖書のとおりである。まさか、あのようなものが宇宙に存在するとは思わなかったそうである。
私も、数年前までは知らなかった。あまりに恐ろしい蛇である。左端は、この蛇に憑かれてしまったのである。
この蛇の写真は、お見せしてよいとお許しいただいたので、あとで掲載させていただく。
ウガヤの時代(14〜19代)に、天皇の御体の波動が変わり、文字が出来、世界が悪くなってしまったのだそうである。
2006年05月23日 17時36分

KC240014_3.jpg(45305 byte)
・上は16柱の大明神様のご一行である。墨西哥(メキシコ)より埃及(エジプト)に向かわれたそうである。
・大明神様も、天皇は写真でお分かりのように白い王だったのである。→皇。
 皇帝とは皇の下にいたものであり、皇は日本にしかいない。
               
上古(じょうこ)初代〜25代 
TOP
amanoukihune_1.jpg(16670 byte)
天皇による黄金期
・左にあるのは、皇祖皇太神宮にある御神宝、天空浮舟の模型の写真である。
太古の天王はこれによって世界各地に巡幸したそうである。

               
初代
上古元年〜
上古261年
享年261歳
 とても大切な事ですが、上古の時代は文字は使いませんでした。(これは古語拾遺にも記載してあるそうです 。上古の天皇が言ったことは正しかったのです。()内のみ2006年05月14日記)
 文字は悪いもの(中国人の末裔)に書きかえられるからです。
それで鹿島神宮の神宝の大刀にも銘はありません。埼玉の鉄剣には銘があります。
埼玉のはウガヤ以降の時代のものだからです。
鹿島神宮の大刀が奈良時代に打たれたと言うのは間違いです。 奈良の中国人の末裔が、これほどの刀に名を入れなかった訳がありませんし、 九州からの渡来人の神武天皇は握ってもいないそうです。
文字が無かった理由は上古の時代は皆精神性が高く、 肉体を卒業された方と交信が出来たからです。
文字は必要無かったのです。頭脳も明晰だったので書類など不要だったそうです。
何より貨幣などという誤った物がありませんでした。
日本人は悪い渡来人、中国人に肉を食わされるように成って、頭脳が低下し、霊能力もなくなったのです。
天によると悪い人間、中国人たちは肉を食えないと死ぬそうです。
書けない事もありますので、後は皆様が考えてください。 物証とも言える巨大な刀があるのです。嘘と言う方は如何説明されますか?。

魂の未成熟な地球人類にとって文字が出来てしまった事はある意味不幸だったのです。
それによって、人が騙されて来たからです。
当初は騙される者はいないと思っていたことも、月日が経ち2千年もの時間が経つと全ては文献 以外に残らなくなったのです。
誰が漢字を作って日本に持ち込み、今の歴史書を作ったか?
皆様もうすうすお解りに成ってきたかと思います。
漢字は殷の時代に作られたといいますが、誰がどこで作らせたのでしょう?
文字や言葉の創作、宗教の流布等は権力者にとって軍事以上に大事な秘密なのです。
因みに金属の貨幣を日本に持ちこんだのも中国人です。
世界中何処でも悪いものは西から来るのです。良い者が東にいるのです。
世界地図を見ても太平洋に面した鹿島と周辺以上の良い土地はありません。 正に清き日出地なのです。
後にいろいろな者が攻めて来たのはこれが理由です。
因みに3本足の八咫烏(やあたのからす)と言うのはイタリア人の身長が1800ほどある男性だったそうです。
男性だったと言うのだけは解ったでしょうか。。
当時は大男だったそうです。
2005/08/06
天日豊本葦牙気皇主身光大神天皇(アメヒノムトアシカビキミノシノミヒカリオオカミスミラミコト)

 白笹稲荷神社に降臨された、上古の初代様 神社はほぼ南向きです。北の位置に太陽は来ません。
 北は聖なる方角とは、このことです。手前の光の玉は、太田姫稲荷神社の次席さん(稲荷狐)です。

上古初代の大明神様


上古の初代様が豊受神様の使わされた眷属のお狐さんとともに参られました。写真の像は後世の人のイメージです。
初代様は宇宙から来たと言っておりました。そして身長は約2m50センチもあったそうです。 これは鹿島神宮の御神宝の大刀を見ていただければ解ると思います。
初代様は261歳まで日出国で平和を祈念されていたそうですが、あるとき一部の者(中国)の謀反があったそう です。
当時としては短命だったのです。上古2代様は15番目の男子だったそうですが、この方が鹿島神宮を創建され多くの世界に、天皇家のものを含む日本の指導者を送ったのだそうです。
豊受神様は御存知伊勢の外宮に祭られている女神様です。今の印度の方だそうです。
食べ物(お酒まで含む)をお守りくださる神様としても知られており、そのため稲荷神様の一柱としても祭られて います。
1bannsama_2_1.jpg(11403 byte) 写真の通りなら、鹿と参られるのが理想なのですが、残念ながら鹿では狐ほど霊力がありません。
上古の初代様から豊受神様までは22代ほどの時差がありますが、どちらも古代の天皇家の方と言う事では一緒です 。
この日参られたお狐さんは豊受神様が主祭神に祭られている発寒神社の筆頭のお狐さんでした。
大事な神様の御用なので、いつもよりお狐さんがとても大きかったです。写真の猫にお狐さんが一緒にいます。
鹿島神宮で祭る 武甕槌神(たけみかづちのかみ)とは記紀によれば出雲の国譲り 神話で、高天原から天鳥船神(あめのとりふねのかみ)経津主神(ふつぬしのかみ)と共に派遣され、大国主神に国譲りを交渉し成立させた神とされる。
建御雷神とも書き、雷神、剣神、武神とされるが、記紀は後の渡来人権力者に都合よく編集されているので、真実はどの辺りか皆様が考えてほしい。
この神は鹿島神宮と鹿島出身の藤原氏が建立した春日大社にのみ祭られている。天皇に仕えた方だと言う。 やはり大変大きい方だったそうである。
当時は刀は身長に合わせオーダーメイドだったそうである。体格も権威であったとの事である。 この刀ではジャイアント馬場でも抜けないのは解ると思う。絶対負ける事は無いと思っていた武神であったが、敵は弓矢を持ってきて集団で射たと言っている。心臓を射られたそうである。
これではやられてしまっても無理は無い。弓矢は卑怯だと言っても、渡来人はそうは思わなかった様である。

・古語拾遺(忌部広成著)に、「上古末、未だ文字は見られず」と記録があったことは、とても大事な事であった。私が古代の霊から聞いた事が、事実だったと文献が証明してくれたからである。  また古代の出雲の天皇の直系と言う方も、全てが頭の中にあるのだと言う。何故なら、文献は盗まれたり、書き換えられたりするからだと言う。
 これは私が古代の天皇から聞いたことと同じ様である。ただ、その方は癒しは出来るが、霊と交信する霊力が無いようである。
 何故かっての皇室の祭祀を司っていた忌部氏が皇室から疎外されたかと言うと、鹿島出身と言われる中臣氏(→藤原氏)が台頭したからである。そして、出雲は藤原氏の手の者によって滅ぼされたのだそうである。
 藤原不比等が造った日本書紀を正史とするには、真実が書いてある古語拾遺は邪魔だったのであると思う。藤原氏の糸を引いたのは日本征服をもくろむ帰化人であった。それで、藤原氏は貴族のトップになったのである。
 ここまで書いたら、光と共に上古の13代様が参られた。偉大な上古の時代は事実上イザナギの時代に終わってしまったのだと言われた。再び左端が霊として、日本を襲ったからなのだと言われた。
 確かに、日本の神話はここから始まっている。知恵ある方は、良く本光の歴史を見ていただきたい。  
2006年05月14日
 
2代 TOP
造化気万男身光天皇(ツクリノシキヨロヅオミヒカリノスミラミコト)
鹿島神宮を創建され、世界中に皇室の人間を送り出した方と言われている。
その中の一人がサタン(左端)と成ってしまったそうである。
日本の開運のトップの龍神様の写真で隠してある部分に写っている者である。一般公開は出来ません。
エジプトで自らが造った金を以って日本での地位を望み、天皇の怒りに触れてしまったのだそうである。
聖書の話と似ていると思うのは私だけではないと思う。
この秘法(金の製法)は7分の1ずつ、7人の配下に教えたのだそうである。
今これを書いて上げたら関東地方で震度5の地震があった。
2005年07月23日 16時42分
大地は人の行動に感応するのだと言う。
それで悪政があると飢饉等が起こるのだそうである。
多武峰の談山神社の中臣鎌足像なども政変のたび異変が起こるので有名である。
 
3代 TOP 天日豊本黄人皇主神天皇身光神(アメノヒノムトヒノヒノミノシカミスミラミコトミヒカリノカミ)  
4代 TOP
・妙見様と言われるのも、この方なのだそうである。
 多くは同じ御神体を見た方が多いのだと思う。地方で呼び方が変わったのは何でも同じである。
 沢山の神社で祭られている方である。
以下は2007/09/12編集
 この方はエジプトでアメンホテプ4世、その妻ネフェルテイテイがアテン神として祭った方である。
イスラム教ではアラーの神とされている方である。

 現在地球に降臨される神々の中の最高神だそうである。
 下は調神社に降臨されたネフェルテイテイ。もちろん神であり、仏教における位では如来である。

 ネフェルテイテイ像  ネフェルテイテイ光柱

 凄い光柱である。神道は神を○柱と数える。
天之御中主神身光天皇(アメノミナカノシノカミミヒカリスミラミコト)
tuki_honden_w300.jpg(79161 byte)さいたま市浦和の調神社にご降臨された大明神様、天之御中主神様です。
 天皇は、まさに天から降臨された白く輝く王なのです。この写真は2006年5月15日に管理人が調神社に呼ばれ、撮影いたしました。
調神社は元社が上古よりあったのだそうです。
 今、皆様が見ているのは紛れも無い真実の天皇、大明神様です。
 ウガヤになり、霊能力の無いものが増えたため、ウガヤ15代様より、誰にも見えるお体を持たれたそうです。
 この時も文字はまだ無かったそうです。
 古史古伝により、上古やウガヤの記載が違うのは、それぞれの霊能者の認識による違いもあったからだと思います。
 
2006年05月21日
 エジプトの「アメ」と付く接頭辞の王は世襲(日嗣)を現しているそうです。アメンホテプ等は、確かにアメが付いています。
2007/09/12
 
5代 TOP 天八下王身光天皇(アメノヤクダリオミヒカリスミラミコト)  
6代 TOP 天目降美身光神天皇(アメノメクダリミミヒカリノカミノスミラミコト)
7代 TOP 天相合美身光天皇(アメアヒアハスミドミヒカリスミラミコト)  
8代 TOP 天八百足日身光天津日嗣天皇(アメヤオタルヒミヒカリアマツヒツギノスミラミコト) shashu_02_01.jpg(78463 byte)
・こちらは2004年5月某日の早朝に鴻巣市の太郎子山稲荷神社にご降臨された大明神様です。
 宇迦之御魂大様含め、伏見稲荷大社の五大神様が皆揃ってご降臨されてくださいました。
 この当時は日本の歴史を作り出す前でした。大明神様ということ意外、まったく解りませんでした。
 12代様までが大明神様なのだそうです。確かに上古の13代様も、20代の宇迦之御魂大神様も人の姿をされております。
 白と紫の大明神様が居られます。蓮の色です。貴族の烏帽子も紫が最上位でした。
2006年05月29日
 

9代 TOP
上古の九代様
天八除魂身光天津日嗣天皇(アメノヤヨロヅタマミヒカリアマツヒツギノスミラミコト)
上古の九代様  大きな光の玉が上古の9代様である。
 前後はお付の方である。
 この方は白山神社のご祭神でもあるという。白山くくりという呼び名が一般的には本当で、菊理姫や白山比唐ナはないのだそうである。
 白山比唐ニは白山を賞賛している言葉のようである。白山もピラミッドである。

 左の写真は埼玉県白岡の愛宕神社に御降臨された上古の九代様である。私が2008年1月に撮影したものである。
 
10代 TOP 高皇産霊身光天津日嗣天皇(タカミムスビミヒカリアマツヒツギノスミラミコト)  
11代 TOP 神皇産霊身光天津日嗣天日天皇(カンムスビミヒカリアマツヒツギアメヒノスミラミコト<)  
12代 TOP 宇麻志阿志訶備比古遅身光天津日嗣天皇(ウマシアシカビヒコジミヒカリアマツヒツギノスミラミコト)  
13代 TOP
 調神社のウサギは下の絵を見たそうです。左がアメン神です。 調神社の大きな写真に居られるアメンラー神(仏教の阿弥陀如来)です。


左がアメン神 上古の13代天皇 調神社のウサギ
天之常立男身光天津日嗣天日天皇(アメノトコタチオミヒカリアマツヒツギアメヒノスミラミコト) →アメン神

アメン神 龍神 鳳凰 私に上古の事を教えてくれた方です。
右手にダイヤの様な石が付いた杖を持ち、光り輝く王冠をしていた。
あちこちの国で神と祭られている方かもしれない。
地位名誉の比較等は一切お答えできません。
埼玉古墳の事も大化以前の事が全く触れられないのは、権力によるものだったのです。
巨大な外圧が日本の歴史の真実を塞いでいたのです。
太平洋戦争に負けて日本は縦書きの書物が横書きに成りました。
それも右から書いていたのが左から書くようになりました。
尺や貫目と言った単位も忘れ去られつつあります。
かってもそんな事があったのです。とても強い力で。。

以下は2007/09/12編集
この方は、エジプトでアメン神として祭られていた方だったそうです。
後に、アメンラー→阿弥陀様とされた方です。
エジプト、インド、日本は大変交流も盛んだったのです。
以下は2007/09/13編集
上古の時代はエジプトと交流が出来たのだそうです。
天の岩船は上古21代イザナギ天皇の時まで使えたそうです。
良き時代は、イザナギの時代までだったと言っています。イザナミの事も文献は誤りが多いそうです。欲の亡者が発生したのだそうです。
 
14代 TOP 国之常立身光天津日嗣天日天皇(クニノトコタチミヒカリアマツヒツギアメヒノスミラミコト)  
15代 TOP 豊雲野根身光天日嗣天皇(トヨクモヌネミヒカリアマツヒツギノスミラミコト)  
16代 TOP 宇比地煮身光天日嗣天皇(ウヒヂニミヒカリアマツヒツギノスミラミコト)  
17代 TOP 角杭身光天津日嗣天日天皇(ツヌグヒミヒカリアマツヒツギアメヒノスミラミコト)  
18代 TOP 大斗馬王身光天津日嗣天日天皇(オホトノヂオミヒカリアマツヒツギアメヒノスミラミコト)  
19代 TOP 面足日子身光天津日嗣天日天皇(オモダルヒコミヒカリアマツヒツギアメヒノスミラミコト)  
20代 TOP 惶根王身光天津日嗣天日天皇(カシコネオミヒカリアマツヒツギアメヒノスミラミコト)  

TOP

上古(じょうこ)21代 
伊邪那岐(いざなぎ)
天皇

記紀では、やはり、ここから日本神話が始まっている。
天の浮橋から矛(ほこ=諸刃の剣に柄のついたもの。鎌倉前期まで使われた。後に薙刀(なぎなた)=長刀と成る。)で大海を描き回し、 その滴りから出来た於能碁呂(おのごろ)島で夫婦の契りをし、大八洲国(おおやしま国)と万物、およびその支配神を産むとある。
広辞苑には大八洲は日本とされていますが、どう数えても八つになりません。
それで天に聞きました。
事実は解りましたが、これは公開しては成らないと言われました。
皆様が考えてください。
2005/08/07

古代天皇家においては、出産は火中でするのが慣わしであった。上古2代から上古の最後25代まで火中において出産されていたと言う。 それは悪魔を除けるためであった。
天照大神の孫のニニギノミコトの后、木花咲くや姫が火中で出産をしたのは、不貞の疑いがかかったからではない。
2006/04/13
 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)とは天照大神の孫。天孫と称す。天之忍穂耳(あめのおしほみみ)命の子。
大神の命で,日向(ひむか)の高千穂峰に降る(天孫降臨)。
木花開耶(このはなのさくや)姫をめとったが,一夜ではらんだのをあやしんだため,姫は産屋に火を放ち, 火にちなんだ火遠理命(ほおりのみこと),火闌(ほのすそり)命,火明命3神を産んだ。(事に成っている)

伊邪那岐身光天津日嗣天日天皇

イザナギとイザナミとは

伊邪那岐(いざなぎ) とは上古21代 伊邪那岐天皇(いざなぎすめらみこと) であると言う。
日本神話でも天照大神、スサノオ尊の父と成っている。
伊邪那冊尊(いざなみのみこと) とは、伊邪那岐天皇の皇后である。
火の神を生んだ時火傷を負い、その治療のために (きさき) の祖国ヨモツ国( 黄泉(よみ)の国、ヨーロッパ)のアフスタン国へ旅立ったとされる。
当時ヨーロッパで最も文明が進んでいたのがアフスタン国だったという。国の中に国があったというのは、そのような支配になっていたのだと考えている。
今もヨーロッパはユーロ圏となっている。
アフスタンと言うと現在のアフガニスタンを思い浮かべるが、世界最古の文明と言われているメソポタミアやインダス文明の間に存在しているので信憑性がある。
因みにメソポタミア文明と言うとチグリス、ユーフラテス川の都市ウルが有名である。神話のギルガメッシュはウルの実在の王だったそうである。頭部が牛だったと言われているがこれは不明である。エンキドウも誰であったかは現在不明である。
メソポタミア文明は4000年以上前に起きたとも言われる。ここに出たのがユダヤ人の祖先と言われるアブラハムである。
アブラハムは74年後に、バダン・アラムを経てカナンの地に移り住む。
旧約聖書ではここでアブラハムは神と契約を結んだとされる。もちろん後のものによる嘘である。神は契約などしないからである。この地球は地球人のものである。特定の人種だけのものではない。
バダン・アラムはどのような地だったのかは解らない。しかし、殆どの方がなじみが無いと思うが、トルコからは9000年も前の遺跡と言われるチャタル・ヒュクが発見されている。
この遺跡にはペルシャへの道もローマへの道も無いのだと言う。つまりペルシャ、ローマ時代以前に完全に土の下に埋まってしまった可能性が高いと言う事である。
そしてこの遺跡はアナトリアの中心だったそうである。アナトリアとは「日の出るところ」の意味である。
もしかしたら、チャタル・ヒュクも古代の天皇が天皇貴船で空を飛んで巡航したところかもしれない。
これなら地上の道は不要である。なにしろ、この街には街路も無いのだそうである。
発掘はトルコ政府によって慎重に進められている様である。まだ数%とも言われている。

竹内文書には万国が泥の海に成った事が複数回あると記述されている。
この遺跡も、この時に地中に埋もれてしまったのである。
エジプトで発掘されている遺跡もそうである。多くの遺跡は元は墓守がいて、もっと地表寄りにあったのである。
日本の天皇陵でも未だに墓を守っている霊がいるところがある。すまじきものは宮仕えと誰かが言っていた。
2006年05月02日
 
TOP

上古(じょうこ)22代 
天疎日向津比売天皇(あまさかるひにむかいつひめすめらみこと)
天照大神様と言えば、天岩戸の神話である。
私のサイトの常連様は薄々、この謎を理解し始めた方もいると思う。
あまりに突拍子も無く、訳の解らなかった日本神話であった。
その日本神話の謎も扉を開けつつある。
多くの方が日本は古代には海外との交流がなかったと洗脳されていたのである。
今の様に2日で地球の裏側までは行けなかったと思うが、昔の方は大移動が盛んだったそうである。
出雲大社のある島根県も、大陸から沢山の人が着たのだそうである。
日本海側は中東より西から来た人も多いのである。
・一般的には天照大神は日本神話中の最高神で,太陽神と皇祖神の二つの性格をもつ。
伊弉諾(いざなぎ)・伊弉冉(いざなみ)二神の3子中,第1子とされ,また伊弉諾の禊(みそぎ)のとき, 左の目から生まれたとも伝える。(藤原不比等(=史)が作った日本書紀では右目から生まれたと反対に書いてある)
月読(つくよみ)尊の夜の食国(おすくに),素戔嗚(すさのお)尊の根の国に対して,高天原を治め, のち瓊瓊杵(ににぎ)尊(=天之忍穂耳(あめのおしほみみ)命の子で天孫降臨の孫)に神勅と三種の神器を授けて,葦原中国(あしはらのなかつくに)を治めさせ,日本国の初めとなった。
別名のオオヒルメノムチは天照の原始的名称と思われ,各部族の太陽神の中で,大和朝廷が尊崇していたものに統一されていった過程があると考えられている。伊勢神宮をはじめ各地の神明社にまつられる、と言う事に成っている。

・事実は以下の様です。
・イザナギ、イザナミのお二方については記録どおり御両親である。

・スサノオとは天照大神様の弟ではないようである。荒んだ英国の人間(兵士)だったそうである。
・英国はローマの弟分と見なされていた様である。
・英国があちこちの国で乱暴を働いたのは歴史の通りである。イラクに侵攻したのも最近である。
・性質が獰猛で高天原に行って乱行して諸神により追放され出雲に下り八岐大蛇(ヤマタノオロチ)退治し、 奇稲田姫(くしなだひめ)と結婚し、大己貴(おおむなち)神、 大国主神を産む。
 大蛇の尾から造った剣(天叢雲の剣(あめのむらくものけん)→のち草薙剣(くさなぎけん))を天照大神に捧げ根の国に行く。

・天照大神様が隠れた天の岩戸とは日本ではなかった。中東だった。アフガニスタンからエジプトまでの間の国である。
・イラクが可能性が高い。チャタルヒュクかもしれない。
・落ちてきた岩戸とは天照大神様を匿っていた人たちの事である。匿ったのは「伊」の国の人である。→陵戸、山窩の発生。
・天照大神を匿った戸(=人)が天(=他国)から落ちてきた(=渡ってきた)ところが戸隠、岩戸神社等と言う名に成ったのです。戸隠神社にも神代文字の文献があるそうである。
・謎の神様、月読も中東の方だそうである。それで何をしたかの記録も無い。日本に来ても、多くの方は国に帰ったのである。
・伊の人が沢山日本に来て、後に伊勢神宮を創始し、天照大神をお祭したのが少し解ったかと思います。
・勿論かっての日本は日出国、「天」だったからです。
・ローマは絶頂時に日本の真の歴史まで書き換えようとしたのが誤りでした。
・以上の内容も予告なく変わる事があります。
・当サイトの内容は複写は厳禁です。皆様のためです。
05/07/31
unichan_01.jpg(20200 byte) ・天照大神が豊受大神にお願いして御信徒様に遣わされた白猫である。
一緒にいるのは発寒神社の筆頭の稲荷狐である。凄い迫力を感じられると思う。
・この目が天照様のお遣いの徴なのだそうです。
2006年04月26日


天照大神(あまてらすおおみのかみ) とは

山窩(さんか)(山(かっての天皇陵)を守る民=陵戸)の言い伝え。
皇室祭祀を司った忌部氏(後の齋部氏)の一族とも言われる。
1.人間は太陽によって生まれ、生かされている。
2.太陽は日と水のもとで、万物の生かし主である。
3.太陽がなくなれば、万物は皆死ぬ。
4.自分たちの先祖はみな太陽から生まれて、太陽に戻る。
5.心だけはセブリ(山窩)の子に残され生きつづける。
6.太陽がモトタマである。
7.日向方女皇(ひむかためすめらのみこと)天照大神(あまてらすおおかみ)とあがめ、祖先とする。

※山窩 とは少数集団で山間を漂白して暮らした民。
ポン、ノアイ、オゲ、ヤマモン等と呼ばれた。
居住地は東北、北海道(蝦夷=中央(=当時は大和)に従わぬ者の意味)を除く日本全域であった。
通常セブリと称するテント生活を送りながら川魚を取ったり箕や箒、籠作り等を生業とした。
(注、動物の皮を扱った者たちは違う者たちである。間違えないでいただきたい。 )
その生活は厳重なはたむら、おきての下に統制され、独特の習俗を伝えるほか、仲間だけに通用する隠語を多用した。

特に秘密を守る場合には「サンカ文字」を使ったそうであるが、これは神代文字(アヒル草文字)だったそうである。
山窩は第2次大戦後(天皇の人間宣言後)、急速に姿を消したと言われる。
伊勢神宮外宮に祭られる豊受神様によると、神代文字と称するものは、ウガヤの時代に創られたそうである。
何故なら紙に書かれた歴史はすぐ書き換えられてしまうからだそうである。
精神性の高かった当時の皇族は太陽への祈りにより、宇宙に記録を残したのだそうである。
これなら誰にも書きかえる事は出来ないからである。
因みに天照大神様は豊受神様の叔母に当たる様である。伊勢神宮の配置的にも納得できると思う。
豊受神様は人生を火の国と言われる熊本で過ごされたと言っている。
それが熊本の若宮神社辺りなのだそうである。
何もお礼は出来ませんが、写真がある方は送っていただけたら嬉しいです。
日向方女皇とは上古22代の天疎日向津比売天皇(あまさかるひにむかいつひめ すめらみこと)であり忌部氏に関係の深い天皇である。
豊受大神様の姿をご覧になりたい方は発寒神社のページをご覧ください。別ページで開きます。
・天照大神と言う呼び名が使われるようになったのは、もちろん神倭朝になってからです。

・これはどこの歴史書にも書いてありませんが、天照様は、実は沢山のお子さんが居たそうです。
一度、私のところにも参られた事がありましたが、暗いお顔をされていました。 今、多くの研究者に事実を弄ばれているのが嫌なようです。 もちろん他国の侵略、横暴がなかったら、こんな事にはなりませんでした。 山窩の言い伝えは事実のようです。天照様の子孫は誇り高かったようです。
2006/02/18

・天照様の夫だったと言う方が参られました。 右手に、リングの入った杖を持っています。お坊さんが持つ勺丈の様な物です。
 この方は、32歳のときエジプトから来たのだそうです。エジプト、インドも繋がりが深かったのです。
 天照様の事は、性別も、夫の事も、子供の事も記紀や記録にもあまり書いてありません。 天之忍穂耳(あめのおしほみみ)命の子と言うお子さんやニニギノミコト(上古24代天皇)と言う天孫降臨のお孫さんが古事記に記載されております。
 私が見た天照大神はやさしそうな女性です。そして天照大神と言う称号も神話も神倭朝になって称されたのです。
 世界に冠たる日本の歴史や、インド、エジプトとの交流の歴史もすべてが大国の圧政により葬られてしまったのです。
 ニニギノミコトの子供である山幸彦、海幸彦と言うのは現在のドイツ、イタリアで日向の高千穂と言うのは本来は日本アルプスの高い峰だったと考えると自然です。日独伊は後の世界でも大きな同盟となっています。  ローマはイタリアでもドイツでも発生しています。
 九州の高天原などは後の為政者に作られた地名だそうです。神武天皇が九州から来たのは間違いないようですが、背後には大きな力があったわけです。歴史上の地名の多くは捏造された事があるようです。  
2006年04月26日
 
23代 TOP

2007年1月2日 3時頃

 上古の23代様が新年のご挨拶に来て下さった。
この方は天照様の三男で、今はチベットにお住まいなのだという。知らなかった。

 チベットは21代天皇、イザナギの時から縁があるのだそうである。大きな秘密である。
天照様がお隠れになった岩屋はアフガンにあったというので、真実味はある。また後で聞いてみます。

 もちろん、お金や名誉のためにはお聞きできません。
天之忍穂耳身光天津日嗣天日天皇(アメノオシホミミミヒカリアマツヒツギアメヒノスミラミコト)
 2004/12/20 

午後の三時過ぎ、上古23代の方が参られました。
大変静かな品のある方です。これが初めてではありませんでした。
今まで名乗らなかったのです。ウガヤ朝の31代様のことも教えてくれた方でした。
この23代様は88歳で即位され361歳まで、この世界におられたそうです。
天照大神様が天に帰られてより五年ほどして東京の現在の調布、稲城辺りに遷都されたようです。
ここは現在ゴルフ場です。沢山の遺跡が出たはずなのに何も報告しなかったのは、証拠を隠蔽するためだったからです。
マスコミは悪魔の手先も多いのです。大きなマスコミが関与している様です。

平和な暮らしを送っていた人々にある日、悪魔が知恵をつけたそうです。
娯楽が足らないのは23代の天皇様のせいだということに成ってしまったそうです。
ある時に話が持ち上がり、その後10年ほど腐心したそうです。
エデンの園の話にも似ています。
23代天皇は良い方策が見つからず、24代に譲位をされたそうです。これは天皇の禊なのだそうです。

この方は記紀に記録が無いので、一般の歴史関係者は日嗣として即位されていないと思っている。
明治政府ではないが、かっても天皇の歴史を隠滅していたわけである。
24代 TOP 天仁仁杵身光天津日嗣天日天皇(アメニニギミヒカリアマツヒツギアメヒノスミラミコト)
23代天皇の第2男子。14/14名の神官(巫女)の選出。
169歳で病(=テロ)で逝去。
平均寿命370歳の時代に若すぎると思いました。いろいろと苦労があったようです。
この方はテロに遭ってしまったのだそうです。その実行者が22代天照大神様のときにやって来た英(=スサノオ)なのだそうです。
イの地方の出身者に歴史を創られるのが面白くなかったからのようです。
2006年05月01日

ニニギノミコト(天仁仁杵身光天津日嗣天日天皇)は天照大神の天孫降臨の孫で、木花咲哉姫と結婚し、姫は一夜の契りで妊娠したのを疑われ、その疑いを払うため産屋に火を放ち、そこで子を出産した事になっている。埼玉古墳の火祭り参照
その一人がホホデミヒカリの命であるという。海幸彦、山幸彦と言うのは創られた名前(地方名の擬人化)のようです。日本の歴史を改竄したい大国の都合です。
 
25代 TOP 天津彦火火出見身光天津日嗣天日天皇(アマツヒコホホデミミヒカリアマツヒツギアメヒノスミラミコト)
24代天皇の第2男子。11/14の神官(巫女)の選出。
上古朝最後の天皇。天皇家の血筋が切れる。
134歳で政変で逝去。ウガヤ朝へと時代は移る。
宮廷に潜む悪魔たちが権威を要求したそうである。
上古の時代は2820年続いたそうです。
都は再び出雲に変わる。
 
               
               
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鵜葺草葺不合(うがやふきあえず)朝73代
天皇統治の揺らぎに伴う天変地異による混乱期
記紀によると、もちろん一代限りである。

※これがないと神武天皇の正当性も言えないからだと考える。
ところが鵜葺草葺不合朝は出雲にあったそうである。
出雲王朝の存在と正当性を主張するのが九鬼文書(くかみぶんしょ)である。

モーゼは68代目の天皇の第一皇子だそうである。兄弟は8人の皇子と1人の皇女がいたそうである。
69代目は五番目の皇子が即位したそうである。
皆皇子は仕事で世界中に派遣されていた様である。
闇に潜む者どもは天皇史は正当なものを葬りたいので、モーゼを奴隷の子として育てられた等と声高に宣伝するのである。
籠に載せられ川を流れた赤子のモーゼの映像を見た方も多いと思う。
さすがに闇に潜む者どもも、モーゼまでは歴史から消す事が出来なかったからである。
そして、大事な事として、この年代の三名、釈迦、モーゼ、孔子が共に日本に来て皇祖皇大神宮で学んでいる事である。
人類の4聖と言われる者が三人一緒にこの時代の日本に来ているのである。
もう一人の4聖は聖徳太子と縁の深いイエスキリストである。もちろん日本に来ている。墓まであるのだから事実である。

古事記にあると言われる出雲朝の系図である。 出雲
               
初代 武鵜草葺不合身光天津日嗣天日天皇 タケウガヤフキアハセズミヒカリアマツヒツギアメヒノスミラミコト
2代 日高日子身光天日天皇軽島彦尊 ヒタカヒコミヒカリアメヒノスミラミコトカルシマヒコノミコト
3代 真白玉輝彦天日天皇 マシラタママカカヒコアメヒノスミラミコト
4代 玉噛尊天津日嗣天日天皇 タマオギノミコトアマツヒツギアメヒノスミラミコト
5代 天地明成赤珠彦天日身光天皇 アメツチアカナルアカタマヒコアメヒノミヒカリスミラミコト
6代 石鉾歯並執楯天皇天日天皇身光天皇 イシホコハナラビトリタテノスミラミコトアメヒノスミラミコトミヒカリスミラミコト
7代 櫛豊媛尊天日身光媛天皇 クシトヨヒメノミコトアメヒノミヒカリヒメスミラミコト
8代 光徹笑勢媛天皇天日身光媛天皇 ヒカリトホリワラハセヒメノスミラミコトアメヒノミヒカリヒメスミラミコト
9代 千種媛天皇天日身光媛天皇 チグサヒメノスミラミコトアメヒノミヒカリヒメスミラミコト
10代 千足媛天皇天日身光万国棟梁天皇 チタルヒメノスミラミコトアメヒノミヒカリヨモツクニオムヤノスミラミコト
11代 禍斬剱彦天皇天日身光万国棟梁天皇 ワザキリツルギヒコノスミラミコトアメヒノミヒカリヨモツクニオムヤノスミラミコト
12代 弥広殿作天皇天日身光天皇 イヤヒロドノツクリノスミラミコトアメヒノミヒカリスミラミコト
13代 豊明圀押彦天皇天日身光天皇 トヨアカクニオシヒコノスミラミコトアメヒノミヒカリスミラミコト
14代 火之進奇猿媛天皇天日身光天皇 ヒノススムキサリヒメノスミラミコトアメヒノミヒカリスミラミコト
15代 臼杵天皇天日身光天皇 ウスキネノスミラミコトアメヒノミヒカリスミラミコト
16代 産門真幸天皇天日身光天皇 ウブカドマサチノスミラミコトアメヒノミヒカリスミラミコト
17代 表照明媛天皇天日身光天皇 ウハテルアカリヒメノスミラミコトアメヒノミヒカリスミラミコト
18代 依細里媛天皇天日身光天皇 ヨリホソリヒメノスミラミコトアメヒノミヒカリスミラミコト
19代 少名形男彦天皇天日身光天皇 スクナカタオヒコノスミラミコトアメヒノミヒカリスミラミコト
20代 天津明少名大汝彦天皇天日身光天皇 アマツアカリスクナオオナムチヒコノスミラミコトアメヒノミヒカリスミラミコト
21代 TOP 天饒明立天皇天日身光天皇
編集開始 2005/03/05
最終更新 2005/03/05
 日記を書こうとしていた時の事です。霊が参られました。
 悪い霊ではなくウガヤ朝の21代様で諸天善神様、菩薩様の位の方だった。
 お話を聞いたら、一昨日の鹿島神宮のことで起こしいただいたのである。
 お話を伺ったら、ウガヤ21代様の時は、やはり貨幣はなく、人々は幸せに暮らしていたと言う。
 この方は病のため、当時としては短命で156歳で、向こうの世界にお帰りになったそうである。
 今居られるのは、木星霊界の第五レベルである。
 このレベルの世界の方でないと、地球に来られる事は殆ど不可能なのである。
 それは宇宙に決まりがあるからである。
 地球人を宇宙に出せないのも同じ理由である。
 魂のレベルが低すぎるからである。
 少し話が横にそれたが、鹿島神宮を造営したのは上古朝の2代様だったと言う。
 それから、普請を繰り返し、それは130回以上に及んだと言う。
 確か、今の倭朝に成ってからも伊勢神宮と同じように20年に1回の建て直しを行ったのである。
 1000年で50回は建て直さないといけないので、これは本当だと思う。
 倭朝になってからでも2660年で130回以上の計算である。
 それにしても20年で一回建て直す儀式は、ウガヤの時からのものだったのである。
 ウガヤの時も139回建て直したと言っておられるので、これだけで269回ほどになる。
 上古でも130回ほど建て替えたとすると400回にもなる。
 鹿島神宮によると近代になって、20年に一度の建て直しはできなくなったそうである。。
 鹿島神宮は最初に建てられてから、少なくとも5390年以上に成る計算である。
 メソポタミア文明が紀元前3千年頃と言われているが、チャタルヒュクは紀元前6千年頃とも言われているのでないことではない。
 時間計算はあまり大事な事ではないが上古は8千年程度前には起こっていると思われる。
 ウガヤが悪くなったのはやはり45代の頃で、貨幣が出来てしまったと言っている。
 壮大な話である。
 大体以前に来られた高い世界の霊のお話と帳尻が合っていると思う。
 何しろお金を迫害している皆様の世界なので、嘘を言う必要がない。
 時間のある方は、私の書いた日本の歴史と比較して欲しい。
 何しろ歴史書のない時代の事である。
 
 人は書面に騙されるので、お金と共に公的な歴史書もなかったといっている。
 これも以前聞いたとおりである。
 祈りにより宇宙に記録したと言っている。
 日本人を騙した文書の代表は正史とも言われる日本書紀で、藤原不比等が捏造したと言われている。
 負ける筈のない壬申の乱は、何故に藤原不比等らの官軍が負けてしまったのか?
 この事実も書いていない。大海皇子にはどのような援軍が着いて天武天皇となれたのか?
 日本書紀には高天原の記述すらないのである。
 古事記とは比べる価値すらない物の様である。焚書すべきであったかと思うが、この様なものを日本の正史として奉ってきたのは、その筋の利権者以外に考えられない。
アメニギアカルテノスミラミコトアメヒノミヒカリスミラミコト
22代
TOP
天押開神魂彦天皇天日身光天皇
2005/03/06

日曜日の午後でした。
私の右に光る霊が現れました。お話を聞いたらウガヤ朝の22代様だそうです。昨日は21代様が参られその補足のために来てくれたそうです。
この22代様は296歳までこの世に居られたそうです。
ウガヤの21代様から23代様まで「光」と書いてある地に皇居を構えていらしたそうです。
何故「光」と書いてあるのか、私は知りません。
アメオヒラキカミミタマヒコノスミラミコトアメヒノミヒカリスミラミコト
23代 天饒国饒狭真都国足天皇天日身光天皇 アメニギクニニギサマツクニタルスミラミコトアメヒノミヒカリスミラミコト
24代 天饒国饒黒浜彦天皇天日身光天皇 アメニギクニニギクロハマヒコノスミラミコトアメヒミヒカリスミラミコト
25代 富秋足中置天皇天日身光天皇 トミアキタルナカオキノスミラミコトアメヒノミヒカリスミラミコト
26代 種浙彦天皇天日身光天皇 タネカレヒコノスミラミコトアメヒノミヒカリスミラミコト
27代 建玉天皇天日身光天皇 タテタマノスミラミコトアメヒノミヒカリスミラミコト
28代 天之海童外字楽之雄天皇天日身光天皇 アメノソリエラギヲノスミラミコトアメヒノミヒカリスミラミコト
29代 神豊実媛天皇天日身光天皇 カミトヨミヒメノスミラミコトアメヒノミヒカリスミラミコト
30代 円脊之男天皇天日身光天皇 マルセノヲスミラミコトアメヒノミヒカリスミラミコト
31代
TOP

橘媛天皇天日身光天皇(タチバナヒメノスミラミコトアメヒミヒカリスミラミコト)
2004/12/16 編集開始
2005/01/29 更新  
  
 ウガヤ朝の31代天皇であったと言う方が参りました。前日はある方に埼玉県行田市にある埼玉古墳のお話を聞いたところだったのです。
菩薩の世界におられる霊は、埼玉古墳はウガヤ朝31代から36代に掛けて造営されたと言っていたのです。
 この31代様は、生まれは現在の千葉鴨川付近であったと申されました。とても上品なお声(テレパシー)です。
そしてウガヤ朝30代の天皇はこの方の旦那様だったそうです。
この方は女性だったのです。私は確認のため、このサイトを開けたら、確かに女帝でした。
295歳まで生きられたそうです。 ウガヤ朝の30代は現在の茨城は鹿島の出身だったと言っております。
鹿島にも古い神が祭られています。中臣鎌足も鹿島の出身だったそうです。
当時の天皇は世襲ではなく、14人の神官(巫女)による決定だったそうです。
もちろん律令等ありませんでした。この方によると、誰も人を害する権利など無いのだそうです。
職によって人を縛ることもいけないと言っております。確かに、品のあるお考えです。
天照大神様も天岩戸にお隠れにはなりましたが、スサノオに対し怒ることはしなかったそうです。
 復讐の思いで人を律し、罰すれば、それは際限無く宇宙まで破壊しかねないからです。
暴れものは、天照大神の様に捨て置いたそうです。話して解る者たちではないからです。
そのため戦争と言うものは無かったそうです。何しろ貨幣が無かったのですから平和だったはずです。
そんな平和な世界も、ある時権力を志向したものが発生してしまったのです。
 その者たちが、ある時14人の神官を皆殺しにして天皇の地位を世襲にしてしまった様です。
先ほども魔界に落ちている者が偵察に参りました。
魔界の者たちは死後の地獄など信じず悪い事をして、暗い世界で苦しんでいます。自分たちの悪事をばらされるのが嫌なのです。
31代様が陵を造られたのは祈りのためだったと申されています。
陵とは墓でなく祈りのための山だったそうです。
鹿島灘から埼玉行田までは直線状にあり、朝日を真っ直ぐ拝むことが出来たのだそうです。そこから西に行くと信州は諏訪に行き当たります。偶然ではありません。
陵とは本来天皇のための祈りの山だったのです。
これも天皇だけに許されたことでしたが、後の蘇我蝦夷は自らの墓を陵と称したそうです。
蘇我蝦夷、蘇我入鹿らは中臣鎌足らによって凄惨な最後を迎えました。
誤った権力とは恐ろしいものです。
一切の神事は朝の神前で行われないといけないのです。
それで朝廷と言うのです。神の決済を仰ぐことが朝廷の大切な仕事なのです。
欲に憑かれた者たちの前に神は現れません。
この方によると、神代文字はウガヤ14代様の時に創られたそうです。いろいろな文字は皆本物です。
神代文字を躍起になって否定しているのは、皆敵国を滅ぼすために潜入させられた草(工作員)の子孫です。
彼らは子孫にも役目を継がせないと、草を見張る草に殺される様です。まるで北朝鮮みたいです。草は万一他人に秘密がばれると、その者を口封じしないといけないそうです。 ひ弱そうでも恐ろしく強いので、特定の者を草と知っても口に出してはいけないそうです。
悪い草は日本の歴史を葬るため、雑誌などで神代文字は嘘っぱちと声高に宣伝しているようです。
母音の数が違うとか、そんなことは嘘でしたが彼らも命が惜しいのです。 本国からの俸給はとっくに止められていると思いますが・・
日本の忍者も敵国(と言っても日本内)に草を入れていましたから、国際間でないはずが無いのです。 日本人に帰化しても未だに日本を敵国として活動しているのです。
もちろん、本人たちは親から知らされています。命に関わりますから。
皆様は悪い草の嘘に騙されない様にご注意ください。
伏見の深草と言うのは、良い草の町です。草も善悪両方います。
宣教師や伝道師も草と言える様です。良い教えを残していただきたいものです。
タチバナヒメノスミラミコトアメヒミヒカリスミラミコト
32代 花撰媛天皇天日身光天皇 ハナヨリヒメノスミラミコトアメヒノミヒカリスミラミコト
33代 清之宮媛天皇天日身光天皇 スガノミヤヒメスミラミコトアメヒノミヒカリスミラミコト
34代 八千尾亀之男天皇天日身光天皇 ヤチヲカメノヲスミラミコトアメヒノミヒカリスミラミコト
35代 花媛天皇天日身光天皇 ハナヒメノスミラミコトアメヒノミヒカリスミラミコト
36代 若照彦天皇天日身光天皇 ワカテルヒコノスミラミコトアメヒノミヒカリスミラミコト
37代 松照彦天皇天日身光天皇 マツテルヒコノスミラミコトアメヒノミヒカリスミラミコト
38代 天津太詞子天皇天日身光天皇 アマツフトノリトノスミラミコトアメヒノミヒカリスミラミコト
39代 神足伊足彦天皇天日身光天皇 カミタルイタルヒコノスミラミコトアメヒノミヒカリスミラミコト
40代 神楯媛天皇天日身光天皇 カミタテヒメノスミラミコトアメヒノミヒカリスミラミコト
41代 神楯広幡八十足彦天皇天日身光天皇 カミタテヒロハタヤソタルヒコノスミラミコトアメヒノミヒカリスミラミコト
42代 鶴舞媛天皇天日身光天皇 ツルマヒヒメノスミラミコトアメヒノミヒカリスミラミコト
43代 豊足大御中天皇天日身光天皇 トヨタルオホミナカノスミラミコトアメヒノミヒカリスミラミコト
44代 大炊気吹天皇天日身光天皇 オホカシフキノスミラミコトアメヒノミヒカリスミラミコト
45代 空津争鳥天皇天日嗣天皇 ソラツアラソトリノスミラミコトアマツヒツギノスミラミコト
46代 鳥言足清男天皇天日嗣天皇 トリコトタルスガノヲスミラミコトアマツヒツギノスミラミコト
47代 大庭足媛天皇天日嗣天皇 オホニハタルヒメノスミラミコトアマツヒツギノスミラミコト
48代 豊津神足別天皇天日嗣天皇 トヨツカミタルワケノスミラミコトアマツヒツギノスミラミコト
49代 豊足彦天皇天日嗣天皇 トヨタルヒコノスミラミコトアマツヒツギノスミラミコト
50代 神足別国押之女天皇天日嗣天皇 カミタルワケクニオシノヒメスミラミコトアマツヒツギノスミラミコト
51代 国押別神足日天皇天日嗣天皇 クニオシワケカミタルヒノスミラミコトアマツヒツギノスミラミコト
52代 天津紅之枝玉天皇天日嗣天皇 アマツクレノエタマノスミラミコトアマツヒツギノスミラミコト
53代 天開明知国束天皇天日嗣天皇 アメヒラアカリシリクニツカノスミラミコトアマツヒツギノスミラミコト
54代 高天原輝徹国知天皇天日嗣天皇 タカマノハラテリトホルクニシリノスミラミコトアマツヒツギノスミラミコト
55代 天津玉柏彦天皇天日嗣天皇 アマツタマカシハヒコノスミラミコトアマツヒツギノスミラミコト
56代 天津成瀬男天皇天日嗣天皇 アマツナルセヲノスミラミコトアマツヒツギノスミラミコト
57代 天津照雄之男天皇天日嗣天皇 アマツテルヲノヲスミラミコトアマツヒツギノスミラミコト
58代 御中主幸玉天皇天日嗣天皇 ミナカノシサキタマノスミラミコトアマツヒツギノスミラミコト
59代 天地明玉主照天皇天日嗣天皇 アメツチアカタマノシテラススミラミコトアマツヒツギノスミラミコト
60代 天照櫛豊媛天皇天日嗣天皇 アマテラスクシトヨヒメノスミラミコトアマツヒツギノスミラミコト
61代 豊足日明媛天皇天日嗣天皇 トヨタルヒアカリヒメノスミラミコトアマツヒツギノスミラミコト
62代 天豊足別彦天皇天日嗣天皇 アメトヨタルワケヒコノスミラミコトアマツヒツギノスミラミコト
63代 事代国守高彦尊天皇天日嗣天皇 コトシロクニマモリタカヒコノミコトスミラミコトアマツヒツギノスミラミコト
64代 豊日豊足彦天皇天日嗣天皇 トヨヒトヨタルヒコノスミラミコトアマツヒツギノスミラミコト
65代 勝勝雄之男天皇天日嗣天皇 マサリマサルヲノヲスミラミコトアマツヒツギノスミラミコト
66代 豊柏木幸手男彦天皇天日嗣天皇 トヨカシハサチテヲヒコノスミラミコトアマツヒツギノスミラミコト
67代 春建日媛天皇天日嗣天皇 ハルタテヒルヒメノスミラミコトアマツヒツギノスミラミコト
68代 天津日高日子宗像彦天皇天日嗣天皇 アマツヒタカヒコソオラヒコノスミラミコトアマツヒツギノスミラミコト
69代 神足別豊耡天皇天日嗣天皇 カンタルワケトヨスキノスミラミコトアマツヒツギノスミラミコト
70代 神心伝物部建天皇天日嗣天皇 カンココロツトフモノノベタテノスミラミコトアマツヒツギノスミラミコト
71代 天照国照日子百日臼杵天皇天日嗣天皇 アマテルクニテルヒコモモヒウスキネノスミラミコトアマツヒツギノスミラミコト
72代 彦五瀬天皇天日嗣天皇 ヒコイツセノスミラミコトアマツヒツギノスミラミコト
73代 狭野尊天日嗣天皇(神武天皇)
2880年続いたと言われるウガヤ朝はここに終焉を迎える。
サヌノミコトアマツヒツギノスミラミコト

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神倭(かんやまと)朝(現在125代)

 001代 : 神武(じんむ)天皇
在位 前660年 1月 1日〜
   前585年 3月11日

  在位期間75年
  享年127歳
現在の歴史では原始時代に分類される。縄文時代である。
この頃大陸から多くの渡来人が日本に入ってきた。これは歴史の通りである。
当然大陸には蛮族が多かった。獣や、人を食う人種である。
メソポタミア、エジプト、インダス文明、黄河文明が起こっていた。既に日本もウガヤ朝の72代であった。
記紀ではウガヤ朝の事実の歴代数は書いていない。しかし、あったことは明記してある。
考えてもエジプト、インド、中国で文明が起こっていて日本で文明が起こっていなかった事はありえない。
考えられるのは攻撃的な他国が連合して攻めてきた事である。
その結果、大和と言う朝廷が出来たと言う事である。三和と言うのも沢山ある。
日本、中国、朝鮮の倭(=和)である。
誰が最初に日本を裏切ったのかは見ていけばお分かりに成ると思う。
帰化人の子孫は馬鹿の一つ覚えで日本を攻撃した。みんな大陸から来た、日本には文字は無かったと。
そんな帰化人を区別するために区分(姓)を付けた。これが弥生時代である。
もちろん一般人には教えない。役所では渡来人は区分けして朱書してあった。 危険な食人癖のあった渡来人には、人が殺され食われるからである。
神隠しと言うが、殺され焼かれて、あるいは煮て食われては、何も残らない事になる。
これが同和問題の初めである。隔離しないと危ないからである。
林、金、神、新、西、・・等つくものは沢山いる。

『日本書紀』の記述によると、甲寅の年(45歳の時)に兄の五瀬命らとともに日向高千穂宮を出発し、瀬戸内海を経て河内に上陸。
大和に向かうものの地元の豪族(本来の天皇?長脛彦)の抵抗に合い、紀伊熊野を迂回してようやく大和地方を制圧。
やはりコマ(高麗、中国)の人だったようである。当時の朝鮮は楽浪郡だった。中国は周の時代であった。
辛酉の年の元旦(太陽暦の2月11日)、橿原宮で即位を宣して初代天皇になったとされる。
これで大和(日本、中国、朝鮮→参和)のうねりが始まったわけである。
※このとき戦いに敗れ東北に流れた長髓彦(ながすねひこ)の子孫が古代東北史を書き残したのが東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)。 ←偽書とされたが、那賀須根比古の名は「那須」に残り墓は東北にあるそうです。
※物部氏は天皇より早く地上に居たと言うから、神武天皇の軍勢に降伏した(寝返った)豪族かもしれない。 物部氏の霊が居られます。日記参照
神話に因れば長髓彦は右腕とも言う家来が寝返ったため、神武天皇はとても勝てないと思われた戦いに3度目にして勝つことが出来たのだそうである。
この寝返ったのが物部氏の先祖らしい。関ケ原でも同じ様な事があったような気もする・・。
正に歴史は繰り返すのかもしれない。
その後、大和朝は勢力を拡大し出雲朝をせめて滅ぼす様である。これは記紀には載っていない。
倭国大乱と言うのが載っているが、この事かもしれない。
←大乱の地と言われる。出雲の剣山周辺。
長髓彦の子孫は東北に逃げ、やがて東北では蝦夷の乱が起こる。
神武天皇やその祖先が九州以前は何処に居たか?
それはまだ不明である。琉球もハワイも王国だったのである。
蝦夷もアイヌのものだったし、アメリカはインデイアンのものであった。
争いに勝った者が先住民の文化を駆逐し王様(=支配者)に成ったわけである。
やはり、王様には由緒正しい歴史、権威が必要である。それには歴史書が必要である。
それで、戦争に勝った権力者は負かした国の歴史を葬るのである。
図書を焼き、学者を殺した焚書(BC213)坑儒(BC214)もその一例である。
蘇我蝦夷も蘇我入鹿が殺されて自害する時、用意していた膨大な日本の歴史ととも火中に消えたそうである。


 大化の改新に先立っては、聖徳太子も豪族から集めた膨大な文献を燃やしたそうである。
 権力者は庶民には余計な知恵をつけないほうが操りやすいからである。
 なにしろ出雲朝では税金も取らなかったそうである。・・
 その結果縄文時代以前には、日本には文字も稲作も無かった事になった。
 漢字はもちろん中国のものである。神武天皇は何処の人間だったか?
 この時から、今の天皇家は天の浮舟(=貴船、岩船)を動かす事ができなくなったのだそうである。
 それで、本来の天皇の仕事のひとつ、世界巡幸が出来なくなってしまった様である。
 帰化人の子孫は天の浮舟などあったはずが無いと言う。それだけで帰化人の子孫たちの霊性の低さが解る。
 彼らは本来の日本人の心を失わせ、食肉を普及させた。恐ろしい事である。この感覚が解るであろうか。
 中国人は争いで戦った相手を殺して食っていたのである。本当に食うか食われるかだったのである。
 それで彼らの子孫は狩猟をするのである。
 子供が不登校になるのもそんな参国人の祖先のDNAを持った教員が学校にいることが多い。
 理屈ではなく、純な子供は解るのである。それで恐ろしくて学校に行けないのである。
 新日本や第参文明などは思っても間違いである。帰化人の子孫の日本壊滅作戦である。
 大和、三和(参和)、新日本、第参文明は破滅のキーワードのようである。
 神武天皇が何処の国の方と言うと多くの方が言うとおり、駒宮(=高麗宮)が住居だった事から中国系の方と考えるのが自然な様です。  
2005/08/31
・有名な八咫烏とは、神武天皇の発した一切の証拠を消せとの号令のことであった。
 八咫烏を飛ばしたと言うのは、証拠を消したと言うことである。
神日本磐余彦尊   かむやまといわれひこのみこと
狭野 さぬ、さの始馭天下之天皇  はつくにしらす
彦火々出見 ひこほほでみ
宇禰備能可志婆良能宮御宇天皇
うねびのかしはらのみやにあめのしたしろしめす
誕生・庚午年(前711)1月1日
立太子・甲申年(前697)
即位・神武元年(前660)1月1日
崩御・神武76年(前585)3月11日(127歳)
皇后・媛蹈韃五十鈴媛命 ひめたたらいすずひめ妃・吾平津媛 あひらつひめ 鵜葺草葺不合命
 うがやふきあへずのみこと
玉依姫命
 たまよりひめのみこと
手研耳命、神八井耳命、神渟名川耳尊(綏靖天皇)、岐須美々命 畝傍橿原宮 うねびのかしはらのみや……奈良県橿原市久米町 畝傍山東北陵 うねびのやまのうしとらのすみのみささぎ……奈良県橿原市大久保町
 002代   TOP

綏靖(すいぜい)天皇
在位 前581年 1月 8日〜
   前549年 5月10日
誕生・神武29年(前632)
立太子・神武42年(前619)1月3日
即位・綏靖元年(前581)1月8日
崩御・綏靖33年(前549)5月10日(84歳)
いわゆる欠史八代の一人で、神武天皇の第三皇子。
 神武天皇の没後、長兄の手研耳命が異母兄の自分たちを殺害しようとしていることを知り、逆にこれを討って即位。葛城高丘に皇居を定め、母の妹である五十鈴依媛命を娶って皇后とした。
 神武天皇を父とする三兄弟の末皇子である綏靖天皇は、2人の弟を殺し皇位を奪おうという野心を持った異母兄で長兄の手研耳命(たぎしみみのみこと)の謀を事前に知り、すぐ上の兄である神八井耳命(かみやいみみのみこと)と共に先手をうって手研耳命を殺そうします。
 その際武器を持って先に部屋に入ったにもかかわらず恐れをなして長兄を殺す事ができなかった神八井耳命に代わって手を下したのが綏靖天皇でした。
 神八井耳命はこれを恥じ弟の方が皇位にふさわしいと述べてその地位を譲ります。
四人兄弟の末皇子だった神武天皇に続き、やはり三人兄弟の末皇子である綏靖天皇が皇位についているのは古代の末子相続の思想がこの伝説の中に名残として残っているからだといわれています。
この方は異母兄弟とされています。母は印度の方だったようです。
かっては、竹内文書にある通り、天皇は世界の天皇だったのです。国境がありませんでした。
世界各地の交流も自由でした。あるときから、地球上の特定地域の者が見栄、物欲と言う悪魔に襲われたのだそうです。
神武天皇以後、日本の歴史は大国に蹂躙されて来ました。
何故神務天皇が死ぬ様な思いで本州に攻めて来なければならなかったか? 皆様も考えてください。
やらなければ誰かに殺されたからです。他に理由はありません。
2005/08/31
 
             
 003代TOP

安寧天皇
在位 前549年 7月 3日〜
   前511年12月 6日
誕生・綏靖5年(前577)
   立太子・綏靖25年(前557)1月7日
即位・綏靖33年(前549)7月3日
   崩御・安寧38年(前511)12月6日(67歳)
綏靖天皇の第一皇子。
欠史八代の一人で、御名、皇居、配偶者、皇子女、在位期間、享年、陵墓などが記載されているだけで、治績はまったく残されていない。
この時代に孔子が日本に来日し皇祖皇大神宮で学んだそうである。
相当数の中国人が来日した様である。
この方は中央アジア系(イザナミのように現在のアフガニスタン辺りか)の母の様です。
               
 004代   TOP

懿徳(いとく)天皇
在位 前510年 2月 4日〜
   前477年 9月 8日
誕生・綏靖29年(前553)
立太子・安寧11年(前538)1月1日
即位・懿徳元年(前510)2月4日
崩御・懿徳34年(前477)9月8日(77歳)
安寧天皇の第二皇子。
欠史八代の一人で、御名、皇居、配偶者、皇子女、在位期間、享年、陵墓などが記載されているだけで、治績はまったく残されていない。
この方の母は英国系の方のようです。
               
 005代   TOP

孝昭天皇
在位 前475年 1月 9日〜
   前393年 8月 5日
誕生・懿徳5年(前506)
立太子・懿徳22年(前489)2月12日
即位・孝昭元年(前475)1月9日
崩御・孝昭83年(前393)8月5日(114歳)
↓以後100歳以上の天皇が続く。 2代から9代まで渡来人であった。
そうでなければ治績があるはずである。
↑ずっと思っていたのですが、治績は大国の圧力で削除されたのだそうです。
崇神天皇を初代天皇にしたい勢力にだそうです。
確かに西暦とも頃合が良いと思いますが、よその国の都合を押し付けられては・・。
欠史八代の一人で、御名、皇居、配偶者、皇子女、在位期間、享年、陵墓などが記載されているだけで、治績はまったく残されていない。

この方から、天皇の御存命期間が急に長くなりました。
天皇のDNAが変わったからです。「考」の字がつく天皇が4代続きます。
これは母方が中東の方だそうです。「土ノ子」です。
日本で噂の「ツチノコ」ではありません。誇り高いといわれるツチ族の様です。
土は一を足すと王になります。元々、土もエジプト(=埃及)を示しています。「+」は祈り、魔よけを示します。
日本とエジプトは大変縁の深かった国なのです。
2005/08/31

・この方の御代に武蔵一宮である氷川神社が建立されたと言う。創建は、氷川神社の社伝では孝昭天皇三年四月中の未の日とされる。 素盞嗚尊・稲田姫命・大己貴命(大国主神の若い時の名)三神を祀ったという。武闘派の神社だったようである。
皆出雲の神とされている。そのためか、成務天皇の時代に出雲の兄多毛比命(えたもひのみこと)が武蔵国造となり、氷川神社を崇敬した。
旧大宮市一帯は出雲族が開拓した地であり、武蔵国造は出雲国造と同族とされる?
この出雲族は、もちろん神武天皇に鞍替えしたものたちである。かっての出雲大社は信じられないほど大きかったそうである。 これも歴史の闇に埋もれていたのである。 社名の「氷川」も出雲の「簸川」に由来するという説がある。
 確かに神武天皇に敗れた長脛彦一族が、東北に逃げる途中、旧大宮市で大きな神社を創っていたとしても不思議ではない。
氷川という地名も埼玉東京の各地にあり、武蔵の国は相当広大な範囲だった事はうなづける。氷川神社も300近くあると思う。
・実はこの御代において、関東との交流を図ろうとしていたのではないかと思う。浦和の調神社も社伝において第9代の開花天皇の時に建立された事になっているからである。
 調神社の創建は現実にはもっと古いようである。
2006年05月30日
               
 006代   TOP

孝安天皇
   在位 前392年 1月 7日〜
   前291年 1月 9日
誕生・孝昭49年(前427)
立太子・孝昭68年(前408)1月14日
即位・孝安元年(前392)1月7日
崩御・孝安102年(前291)1月9日(137歳)
欠史八代の一人で、御名、皇居、配偶者、皇子女、在位期間、享年、陵墓などが記載されているだけで、治績はまったく残されていない。                
 007代   TOP

孝霊天皇
在位 前290年 1月12日〜
   前215年 2月 8日
誕生・孝安51年(前342)
立太子・孝安76年(前317)1月5日
即位・孝霊元年(前290)1月12日
崩御・孝霊76年(前215)2月8日(128歳)

欠史八代の一人で、御名、皇居、配偶者、皇子女、在位期間、享年、陵墓などが記載されているだけで、治績はまったく残されていない。
これは貴重な鬼退治の話があった山であるが、これは上古16代の天皇の陵だったそうである。
退治した鬼というのはこの山を守るサンガだった様である。
ピラミッド型の山の上に光の輪がついている。
上が剣山で下が楽々福来神社である。
剣山は徳島にもあるが、やはりピラミッドと言われている。








               
 008代   TOP

孝元天皇
在位 前214年 1月14日〜
   前158年 9月 2日
誕生・孝霊18年(前273)
立太子・孝霊36年(前255)1月1日
即位・孝元元年(前214)1月14日
崩御・孝元58年(前158)9月2日(116歳)
欠史八代の一人で、御名、皇居、配偶者、皇子女、在位期間、享年、陵墓などが記載されているだけで、治績はまったく残されていない。
武内宿禰はこの天皇の孫、または曾孫と言われている。
               
 009代   TOP

開化天皇
在位 前158年11月12日〜
   前 98年 4月 9日
誕生・孝元7年(前208)
立太子・孝元22年(前193)1月14日
即位・孝元57年(前158)11月12日
崩御・開化60年(前98)4月9日(111歳)
欠史八代の一人で、御名、皇居、配偶者、皇子女、在位期間、享年、陵墓などが記載されているだけで、治績はまったく残されていない。

さいたま市浦和の調神社は、開花乙酉(22)年に元社が建立されたと記録がある。

               
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 010代 : 崇神(すじん)天皇
在位 前 97年 1月13日〜
   前 30年12月 5日

   在位67年
   誕生・開化10年(前148)
   立太子・開化28年(前130)1月5日
   即位・崇神元年(前97)1月13日(即位51歳)
   崩御・崇神68年(前30)12月5日(119歳)
   在位期間68年

日本史の謎、「太田田根子」
太田田根子は茅渟県の陶邑(大阪堺辺り)の出身だと言う。
本人が来たので聞いてみた。 出身は朝鮮半島だったと言う。そして、現在の岡山、美和を経て大阪に入ったそうである。
性別は女性であったと言う。不思議な事に人の霊の姿が見えなかった。
私も昔から、太田田根子とはどのような人か気になっていたのである。 父は大物主命で母は活玉依媛(いくたまよりひめ)だと言う。 大物主命は蛇だとか諸説あるが、これは海を渡ってきた「伊」である。そして活玉依媛とは「仏」である。
それでは太田田根子とは誰かと言うと須恵器である。
sueki_kouhai.jpg(3382 byte)  oota_taneko.jpg(13820 byte) 太田田根子と出身地
太田は今のテジョンである。
太田の田圃の土根子で太田田根子である。
その土地の霊を産土神と言う。私のところにはこの霊が来たのである。

須恵器は水を漏らさず、従来の土器に比べ、とても便利であった。 それで神棚の前に榊やお神酒をお供えできるようになったというわけである。 現在の歴史では、この時まだ日本に釜はなかったことに成っている。朝鮮で焼いたものだそうである。
朝鮮はすでに「伊」が完全に支配していたのである。 神様を神前でお祭りしているのが太田田根子(=須恵器)である。
そして、この時から伊勢神宮は伊を奉る神社として構想されるのである。
そして、垂仁天皇が「伊」を祭る伊勢神宮を建立したわけである。
2006/04/10
漢風諡号(しごう)が示すとおり、大田田根子に大物主神を祀らせるなど、祭祀を充実させたと伝えられている。
 また北陸・東海・西海・丹波に四道将軍を派遣、国内の統治基盤(財政制度)を整えたことから、神武天皇と同じく「ハツクニシラススメラミコト」と称されており、初代天皇を崇神に求める研究者も少なくない。

天津蹈鞴秘文(あまつたたらひふみ)』 とは、神武(じんむ)天皇の大和平定の砌(みぎり)、神政一致による治国・経綸(けいりん)の大業を記した宝巻にして、 その後、皇歴10代・崇神(すじん)天皇の7年(BC.92)、大田田根子(おおたたねこ)に命じて、大物主神(おおものぬしのかみ)(まつ)らしめ、神殿に安置したものという。
※大物主神は出雲の神で皇室と関係が深い。
 「あまつたたらひふみ」とは「天津」とは天の神々の集う事で、「蹈鞴」は足踏みして高炉に空気を送り込む物、(ふいご)の一種だという。
神代からあった蹈鞴製鉄の秘法を示した文書だったと考えると自然かもしれない。そして、たたらという言葉が世界中に広まったのである。何故世界一の製鉄技術が西から来たことに成ったのか?
 日本刀が世界一であったのは良質な玉がねと刀工がいたからである。
 これは「ひひいろかね」の製法等も記してあったのかと思う。

 大嘗祭は新たに皇位を継承した天皇が、その年の新穀を天照大神(あまてらすおおみのかみ)天神地祇(てんじんちぎ)(天津神、国津神。御食造神(みけつしん)=稲荷神。宇迦魂大神(天津神)と佐田彦大神(国津神))に献ずる儀式である。古事記を参照すると諸々の事実が解る。宇佐とは、この2柱の大神の頭の字である。
2006年05月13日

 大嘗祭は天皇一世一代の大神事である。これは崇神天皇以降に定められたものだという。
そして天照大神とは既に述べた様に上古22代の天疎日向津比売天皇(あまさかるひにむかいつひめのすめらみこと)なのだそうである。
その次の垂任天皇の御代に伊勢神宮の内宮に天照大神は祭られている。
外宮の豊受大神が鎮座されたのは雄略天皇の時とされる。

私見であるが、上記8代は日本の方ではない。日本の方なら治績の残っていないはずは無い。(←ずっと思っていたのですが、治績は大国の圧力で削除されたのだそうです。
崇神天皇を初代天皇にしたい勢力にだそうです。
確かに西暦とも頃合が良いと思いますが、よその国の都合を押し付けられては・・。)
それでもこの方たちの子孫は歴史に名を残す豪族となっている者もいる。
元々は天皇家の者が世界中に散っているのである。
この問題はあまり重要ではない。闇に潜む敵は世界中の天皇家の子孫を滅亡させたいものである。
人類の殆どが滅亡するかもしれない・・なにしろ「旧約聖書」で最初の人類と言われるアダムとイブもスメラミコトの皇女ヨイロバアダムイブヒと 赤人女祖氏(あかひとめそたい) だったのだそうである。
そしてモーゼは当然その子孫である。
第2次世界大戦のアメリカの原爆爆撃機エノラゲイとは「王を殲滅せよ」と言う意味だったという。
東京は計画的とも思える大空襲により、証拠として大審院に提出してあった古代天皇家の4千点とも言われる御神宝の調査記録は皆焼けてしまったのである。
それにも拘わらず、大審院判決は皇祖皇大神宮天津教の勝ちであった。
神代にまで遡る古代天皇家の存在は否定できないと大審院が判決したのである。
それでも竹内文書を偽物と言う者がいるのは、その者が帰化人工作員の子孫だからである。
大審院で勝った者を法的にも偽物とは言えるはずは無い。
兵庫の九鬼家でも戦争による天皇の神格化を理由に、多くの貴重な文書を憲兵に持ち去られてしまったそうである。
今までの戦争は皆闇に潜む、欲ボケの者が起こしたからである。
今のおかしな世界は、この世しか見えなくなった愚か者、帰化人工作員の子孫が、地位、名誉、財産、恐怖に目を眩ませた結果現れた世界である。

伊香色謎命 (いかがしこめのみこと)
【活躍時期:孝元・開化・崇神】
 孝元天皇妃。開化天皇皇后。崇神天皇の母。
 何処の国の方と思いますか?
 伊香保とは石段がとても立派です。「伊」が香ったのだと思います。
 そして11代垂任天皇は伊勢神宮を建立する事に成る訳です。
               
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 011代 : 垂仁(すいにん)天皇
在位 前 29年 1月 2日〜
     70年 7月14日
   在位41年
     誕生・崇神29年(前69)1月1日
     立太子・崇神48年(前50)4月19日
     即位・垂仁元年(前29)1月2日(40歳)
     崩御・垂仁99年(70)7月14日(139歳)
     在位期間99年 heraiduka_w280.jpg(77619 byte)
・青森にある十来塚。キリストの墓と言われている。旧戸来村(現在の新郷村)にある。
十三港(とさみなと)から、この地に入ったイエス様は十和田湖の隣の三戸郡戸来村で、八戸太郎と言う名で人生を過ごされたそうである。
今も「伊」のものが見に来た。イエス様も伊の圧力に追われていたのである。
2006年04月22日
イスラエルは紀元前722年にアッシリアにより滅ぼされて、10部族は地方を追放される。
失われた十部族は甲乙丙丁・・で十部族だったのである。八甲田山、八戸は偶然に付いた地名ではないのである。 もちろん十和田湖もである。
イスラエルの民(ヘブライ人)、ユダの十部族は神に導かれ、この地に来たのだと言う。ソロモンの話し参照。
2006年04月26日
崇神天皇の第三皇子で、父帝の夢占によって皇太子に立てられたとされる。 初め狭穂姫を皇后に立てたが、狭穂彦の反乱鎮定の際に兄を追って狭穂姫は自殺。次いで日葉酢媛を皇后に立てた。
 父帝に倣って祭祀を充実させ、伊勢神宮を創始。  「伊勢」とは当時の伊太利亜(ローマ帝国)の勢いに(あやか)りたく、「伊勢神宮」と命名したそうである。
 伊勢崎や伊勢原等沢山「伊勢」に因んだ地名がある。
 葬儀の際の殉死を禁じ、代わりに人馬をかたどった埴輪を陵墓に立てるようにしたと伝えられている。
※キリスト来日皇祖皇太神宮で学ぶ。

太田姫稲荷神社のお狐さんによると、垂仁天皇の御所は埼玉県吉見町にあったそうである。13代成務天皇までお住まいだったそうである。
 これまで述べてきた事と、話があっている。この記録は、大和政権に葬られてしまった。
2008/02/14

吉見町の御所

・この時代に卑弥呼は邪馬台国の女王になり、その死の時には100人もの奴婢が殉葬されたと言う。
したがって、日本にも倭朝廷以外に複数の朝廷があったと考えるのが自然である。
もちろん、その様な朝廷は歴史から削除されているのは当然である。
・伊との長い付き合いは、日独伊の3国同盟でもわかると思う。 ローマとは「支配者」の意味で、イタリアに起こり、神聖ローマ帝国(現在のドイツ)へと繋がる。
そして伊の血脈は伊賀者の服部半蔵、徳川にまで繋がっているわけである。 服部半蔵は陰で徳川を支えた。どちらも「イ」が見えると思う。 そして、それはイザナギ、イザナミ、伊勢神宮と繋がってきたのである。 イの一番と言う意味がお解かりに成ったかと思う。そして、徳川家康のキリシタン追放、鎖国はこれも原因である。
 キリシタン大名はやはりイと対立していた先祖の者が多いのだそうである。
 古い家には凄い量の巻物がある。家系図は家宝なのだそうである。何も知らぬのが良いのか悪いのか?それは人によると思う。
 イエス様が蝦夷(中央に従わぬ意味)の地に参られたのもそのせいである。  かっては東国(おおよそ現在の岐阜の関より東(不破の関、愛発(あらち)の関、鈴鹿の関より東))は別の国だったのである。それで、部下の裏切りで神武天皇に破れた長脛彦も逃げてきたのである。
・イエス様と「13」のご縁は、死刑にされた日ではなく、上古の13代様のご縁だったそうである。
 十三港もそうだが、上古の13代様はイエス様も指導したそうである。イエス様も本来の天皇家の人間と言われている。
 アメリカの建国も13の州から始まったのである。13は本来は偉大な数なのに、フリ−メーソン同様に一般的に忌み嫌われてしまった。これも影の工作員たちの仕業である。13とは天界に通じる数である。
               
 012代 :     TOP

景行天皇
在位
    71年 7月11日〜
    130年11月 7日
   在位59年
   誕生・垂仁17年(前13)
    立太子・垂仁37年(8)1月1日
    即位・景行元年(71)7月11日(84歳)
    崩御・景行60年(130)11月7日(143歳)
    在位期間60年
yamatotakeru.jpg(56866 byte)
日本武尊はご覧のように女子だったそうです。 熊襲の王は、この容姿に騙されてしまって討たれたようです。
垂仁天皇の第三皇子で、父帝に望むものを聞かれた際、兄の五十瓊敷入彦命が弓矢を望んだのに対し、皇位を望んでそれを許されて即位した。
七十七人の皇子女を諸国に分封し、諸国の別の祖とするなど全国的に勢力を広げ、皇后播磨稲日大郎との間に生まれた日本武尊に九州の熊襲や東国の蝦夷(=東北、北海道)を鎮定させたと伝えられている。 

武内宿禰が仕えた最初の天皇。
景行天皇は武内宿禰に北陸・東北視察を命じる。これが偉功の発端だったと思われる。
武内宿禰は360歳以上まで生きて姿を消したと言われる。
仁徳天皇の晩年まで仕えたのなら、単純計算で通算は328年にもなる。
この武内宿禰の子孫なら皆大臣(おおおみ)に成っても不思議ではない。

takeuchi_sukune.jpg(8650 byte) ・左は竹内宿禰の肖像画と言われている。
竹内宿禰は琵琶を奏でた。琵琶の音色は語り話を幻想に導く様である。
神功天皇の傍にいた竹内宿禰が印象的である。
・日本武尊は竹之内宿禰と共に東国を歩いたそうである。
・こぶが峰、古峯神社(ふるみね神社)に日本武尊が祭られているが、「こぶ」とは埼玉古墳群を示すのだそうである。
確かに、関東平野の「こぶ」のようである。
そして、竹之内宿禰も埼玉古墳群は縁のある地だといっているので信憑性があるかもしれない。
 今尋ねたら、埼玉の鉄剣にあるワカタケル大王と言う銘は、21代の雄略天皇ではなく、日本武尊の事だったのだそうである。
 そして、埴輪は垂仁天皇の時代から作り始められている。
 歴史的に考えても、日本武尊が埼玉(さきたま)の地を通った可能性は、雄略天皇が来た可能性よりはるかに高い。
 もちろん、外圧により埼玉古墳は6世紀以降に造られた事にされてしまっているから、事実は公表されないのである。
 
2006/04/07
辛亥年を471年としたのは、公の歴史の都合からである。
辛亥年は60年毎にある。360年前が111年に当たり、史実とも合っている。
埼玉古墳の歴史も変わると考える。
2007/04/08
 
               
 013代:      TOP

成務天皇
在位  131年 1月 5日〜
    190年 6月11日
誕生・景行14年(84)
立太子・景行51年(121)8月4日
即位・成務元年(131)1月5日(49歳)
崩御・成務60年(190)6月11日(107歳)
在位期間58年

2005/04/01 記

shashu_13_01.jpg(2428 byte) 朝、埼玉(=前玉)古墳のところを見ていたら、「コン」と社主(太郎子山稲荷神社の稲荷狐、写真のお狐さん )が私を呼びました。
良い方が来たと言うのです。気がつくと冠を被られた13代様が見えられました。
自分で作ったページなのですが、前に埼玉古墳はウガヤ31代様から造営され、その後衰退し、神倭朝13代様が復興した古墳であると自分で書いていました。
この方は送ったお名前でも解る通りの立派な天皇でした。
今は木星霊界の菩薩の世界におられます。この世界の方で無いと、この世と正しく交信できません。
13代様によると、竹内宿禰は12代景行天皇に使えた者がこの地に来た時、その存在を知ったのだそうです。 13代様は百済の方でした。
そう言えば、この辺には竹内と言う者も多数おり、私の同級生でも竹内宿禰の子孫だと言う者もおりました。
竹内宿禰は元々が天皇家の歴史を守っていた者なのだそうです。 それで12代様の命を受けた者は竹内宿禰を大和に連れて行ったのだそうです。
その後13代様が初の大臣に任命するわけです。
13代様によると日本の天皇家の真の系図は中国人の攻撃でおかしくなったのだそうです。
大きなうねりは神武天皇から4代天皇までで、これは中国人だったそうです。(05/04/24更新)
そのため日本は漢字の国に成ってしまいました。元は神代文字です。ハングルも神代文字の名残なのです。
一般には漢字の伝来は1世紀と言われていますが、もっと早かったのです。
そのため、百済から奪われた皇室を取り戻しに来たそうです。このため百済出身の天皇、皇后が多いのです。
新羅は当時は別の国で、百済とは仲が悪かったそうです。後に中国などと組、百済を滅ぼします。
百済と日本の関係は皇祖皇太神宮の菊の御紋の裏の神代文字を見れば判ります。
その後8代、9代様はエジプトから帰って来た皇室の方だったそうです。
10代崇神天皇を神倭朝の初代にすべきと言う方も多いですが、この方も地中海から帰って来た方だそうです。
日ユ同祖論がありますが元は皇室から派遣された人たちが帰って来たのです。 →帰化人と単なる渡来人の違いです。
ユダヤの消えた十部族の内、二つの部族が蘇我を名乗ったそうです。
甲乙丙丁・・で10部族です。
甲賀、八甲田、六甲山・・等多数の地名があります。
青森県の新郷村(旧戸来村)はイエス様が人生を送られた地であり、八戸の他にも戸(ヘブライ)のつく地名が沢山あります。
埼玉にも戸がつく地名は沢山あります。今は人のいる事を示す「戸」ですが、かってはヘブライ人を示していたそうです。
ヘブライ人とはカナンに住み,農業・牧畜を生業としたセム系遊牧民集団。イスラエル人の別名。 ユダヤ人に対してヘブライ人とも呼ばれたそうです。
elsaharem_02.jpg(31055 byte)
今の私たちが考えるよりはるかに大きな交流があったそうです。
25代武烈天皇は新羅の者だそうです。 そのため子供も無く、謎と言われる26代継体天皇は大伴金村がインドから呼んだ方だったそうです。 大和に入れなかったのも無理はありません。
この流れから筑紫国造の岩井(先祖はイラクから来た者らしい)が新羅と手を組み謀反を起こしたそうです。
確かに流れはあっていると思います。
九州こそが本来の倭人の地です。
景行天皇の八十人の皇子女のうち、日本武尊、五邇百城入彦とともに手元に残された一人で、父帝の跡を継ぎ国造、県主を定めるなど、地方行政組織を整備した。同日生まれの武内宿禰を寵愛して大臣に任じ、それが大臣の起源となった。
 『古事記』によれば、兄の日本武尊の功績を尊重して、実子の和訶奴気王をさしおいて、日本武尊の息子を皇太子としたという。
※武内宿禰は8代孝元天皇の曾孫(一説に孫)と言われ、景行、成務、仲哀、応神、仁徳の5朝に仕え、偉功があったとされる。

武内宿禰が仕えた2人目の天皇

八幡神は応神天皇、比売神(ひめしん)3柱、神功(じんぐう)皇后の3神(5柱)とされる。
※神功皇后は明治以前は15代天皇として祭られていた。
記紀では神功皇后(神功天皇)は卑弥呼とされている。
明治政府が天皇の御位を改竄したのは、神功皇后(天皇)が新羅、百済を属国にしており、朝鮮半島を経て大陸から人が移住しやすい状況が生まれていたからのようである。
当然百済新羅とはもめたかと思う。391年倭は仁徳天皇の時代に新羅百済を破る事になる。 国を捨て逃げてきた渡来人は、受け入れてくれた慈悲深い八幡様をお祭したのは当然である。
それで八幡神社、八幡宮は稲荷神社に次ぐ日本第2位の勢力を誇っているのである。
それに比べ、今の日本の北朝鮮の人に対する受け入れを考えていただきたい。
どれほどの数の渡来人が来たかは不明である。
訳が解らなく成るので、出身地別に呼び名をつけ(=弥生)、住居地区を分けた。 文字通り同和の地区を設けたのである。仕方無かったと思う。
状況的に難民を受け入れた格好である。やがて、同和地区の難民集団が権利を主張し大和の時代に向かう。
同和地区の差別撤廃→大和である。
同和地区の人も代を重ねると、本当の日本人を名乗りたくなったそうである。 それで氏姓を偽る者が後世出てきたのは当然である。
19代允恭天皇の時、社会問題化し、天皇はこれを正すため「くがたち」を行う事に成る。
出身国 後に多く名乗った姓名
百済
(伊太利亜)
金子、金田、金系の苗字。田や中のつく苗字。畑はインドで無く百済系。
高橋、石田、石○等、石系の苗字。これはローマ帝国の人間である。伊太利亜は石の国である。 弥生時代の当時はローマ帝国が絶頂を迎え衰退に向かった時である。
新羅 新井は有名過ぎるほど多い。土地でもめている者が多い。今も竹島でもめている。 どうにもならないDNAの様である。
高句麗 白田、白井等白のつく苗字
地中海沿岸(ユダヤの地) 蘇我氏が代表。元は皇族だそうである。石川は傍系。
インド北部(天竺) 秦、羽田、旗、八田、波多、ハタ系、稲田、稲盛、平田、平井等
中国、他 林系の者。大林、中林、小林、林等沢山いる。
比売神は12代景行天皇の80人の皇子女の内の3人の姉妹だったそうである。成務天皇の兄弟姉妹に当たるわけだが、80人の皇子女の内、男子は三名しかいなかったそうである。写真左の方は諏訪に行って信仰の中で人生を送った様であるが、この方が八幡神の中心と成って活動しているそうである。私が瞑想中に、私のところに来て眷族のお狐さんの事なども教えてくれたのである。
下の写真が見つかったのは、記事を書いてからしばらくしてからである。
まさに尼僧様、菩薩様である。
himeshinsama
出雲の神にも建御名方神と八坂刀神が大和に屈しなかった神とされている。
出雲では神事として鹿の頭を供えるそうである。農作物の害獣をを駆除し豊作を祈る神としても信仰されている。
管理人の私見(比売神様のお言葉)であるが、当時は出雲朝と大和朝は不可侵関係であった様である。ある時(23代顕宗天皇の時)大和朝のものが突如攻めて来たのだそうである。その先頭にいた者が中臣氏(後の藤原氏)であった。藤原氏が建立した春日大社は鹿島、香取から勧請した2神を祭り、鹿が眷族とされている。藤原氏の祖先が鹿島の出であったと言われる事の証である。
それで出雲の神のお供えに憎き藤原氏の眷族の鹿の頭が供えられる様である。
農作物の害獣をを駆除し豊作を祈る神と言えば稲荷神様が有名である。この眷族と言えば日本一の勢力を誇る稲荷大明神の眷族、お狐さんである。それで、八幡神の内の比売神の眷族としてお狐さんが手伝っているのである。ただし、お狐さんがいるのは出雲系では諏訪だけだそうである。八幡宮、八幡神社と言うところには相当な数のお狐さんがいる様である。
また八幡様は仏教系でも大菩薩としても信仰されている。
左の比売神様を見ると納得されると思う。当時は朝廷では仏教は認めていなかった。 聖徳太子の時代に蘇我氏と物部氏が戦争をして、やっと仏教は解禁となったわけだが、それまで日本に伝来していなかったと言う証拠も無い。
皇室に生まれた女性が信仰に生きるには、かすかに伝わってきた仏教しかなかったのかもしれない。
いくらインドがかって遠い国だったとしても、お釈迦様の誕生から600年もの歳月の間には何か伝わっていても不思議ではない。
何しろ、お釈迦様さえ皇祖皇大神宮で学んでいる事を本サイトは支持しているのである。
もしかしたら、お釈迦様も帰る前に何か教えも残していたかもしれない。
 誕生・景行14年(84)立太子・景行51年(121)8月4日即位・成務元年(131)1月5日崩御・成務60年(190)6月11日(107歳)              
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仲哀天皇
在位  192年 1月11日〜
    200年 2月 6日
立太子・成務48年(178)3月1日
    即位・仲哀元年(192)1月11日
    崩御・仲哀9年(200)2月6日